発達障碍とふつうの人

ADHD+ASDと診断されましたが、生きづらい人生でした。今も。

少し変わってると言われ続けてきました。

小学生時代、担任の先生と懇談した母親は「個性的な子」と言われたことがあるようです。

手先は不器用で、プラモデルを綺麗に仕上げることができませんでした。

オモチャを分解すると、元に戻せないことがほとんどでした。


一人遊びよりも友達と遊ぶほうが楽しかったけれど、話が長続きしませんでした。
自分が遊びたい友達も、別の友達といるほうが楽しそうでした。

社会人になり居酒屋に行っても一人で飲む時間が長いのです。


「自分 vs ふつうの人」には高くないけど見えない壁があると思ってました。

「ふつう」とは、雑談していて「あの人はふつうの人だよな」「アイツはまともな奴や」というレベルです。

自分は「ふつうの人」と呼ばれたかったのです。


「ふつう」になるために、接し方や話し方を工夫することが人生のテーマでした。

友達から遊びに誘われるにはどうすればいいか、雑談とは何を話せばいいか、相手は退屈していないか。

ずっと、ずーっと悩んできました。

(受け身の発想と思うかもしれませんが、そもそも主体的に考えることができれば悩むこともなかったでしょう)


その原因が「発達障碍」です。
診断の前後で何一つ変わらないし、今までの人生は消除も否定もされないことは理解できますが、

つまり

自分はふつうの人 → だけど周囲とズレる → 自分を直すことが人生の課題

 『人生の大前提がくずれた、というか無くなった』

と書いたのはそういうことです。

念のためですが、自殺は考える気力すらありません。

これからは「人と雑談ができない、変わり者」と言われても悩まなくてすむことだけがメリットです。


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